こんにちは!個別指導塾の現役塾長です。
このページでは中学社会の歴史より「日清戦争・日露戦争」について、ポイントをまとめ、クイズを出題しています。
前半で定期テストや入試に出やすい重要事項を厳選してまとめており、後半にクイズがあります。
先にクイズにチャレンジしたい人は目次からクイズを選んでください!
日清戦争の解説
【背景】
①ロシアが東アジアに進出しようとしていた
②日本は朝鮮を支配してロシアに対抗しようとした
③朝鮮は清の属国だった
④朝鮮をモノにしようとしたら清が邪魔だった
ロシアは朝鮮の方までシベリア鉄道を建設しようとしていて、日本は
「このままじゃいつか日本にまで来てしまう!そりゃいかん!」
「朝鮮で食い止めれば日本は安全!」
と考えました。
しかし朝鮮は清が宗主国(親分)として支配していたんですね。
日本は「あの親分邪魔だなー」と思ったわけです。
一方の清はイギリスやフランスにやられっぱなしで、沖縄を日本にとられちゃったことで朝鮮以外の属国を失ってしまいます。
そうすると「これ以上失ってたまるかー」って思いますよね。
そんなわけで日本も清も朝鮮を支配しようとして、にらみ合うことになります。
【開戦のきっかけ】
①甲午農民戦争(1894年)
②朝鮮が清にヘルプを求める
③清が朝鮮に兵を送る
④日本も朝鮮に兵を送る
⑤日本と清のケンカが始まる=日清戦争(1894年)
甲午農民戦争とは、朝鮮で起きた農民の反乱です。
農民たちは「日本や西洋は出ていけ!減税しろ!こんな住みにくい国にしたのは政府のせいだ!」と反乱を起こしました。
朝鮮は最初「こりゃ抑えられん。親分(清)に助けてもらおう」と考えます。清も助けようと兵を送ります。
日本も「朝鮮にいる日本人を守るため」という名目で兵を送ります。
ここで朝鮮が「マズイ!」と思うんです。
「清と日本が兵を送ってきたら朝鮮で戦争になっちゃう!」と。
それであわてて朝鮮政府は反乱軍と仲直りし、兵隊さんたちに帰ってもらおうとします。
それで終わればよかったんですが、その後兵を撤退させるか残すかで清と日本の意見が割れ、日清戦争が始まってしまいます。
【結果】
①日本の勝利
②下関条約(1895年)
③三国干渉(1895年)
日本が勝ったので、清との講和条約を下関(山口県)で結ぶことになりました。
内容は次の通りです。
【下関条約】
・清は朝鮮の独立を認める
・遼東半島・台湾・澎湖諸島を日本に譲る
・賠償金2億両(3.1億円)を支払う
国家予算の4倍の大金をもらい、その多くを軍備の拡張のために使いました。福岡県北九州市の八幡製鉄所もこの賠償金で作られました。
このように下関条約でいろいろともらって喜んでいたところ、
「ちょっと日本調子乗りすぎじゃね?」
と言ってきた国がフランス・ロシア・ドイツの三国です。(フロはドうした!と覚えましょう。)
特にロシアは不凍港といって冬でも使える港が欲しかったので、いつかロシアのものにしようとしていた遼東半島を日本に奪われたくなかったんですね。
そしてこの三国は日本に遼東半島を返すように迫ってきます。これが三国干渉という出来事です。
で、日本はどうしたかというと、
「こいつらに歯向かったらさすがにやられちゃうなー」と判断し、遼東半島を返すことにします。
そして「ロシアめ!いつか見てろよ!」と思うようになります。
日露戦争の解説
【開戦まで】
①欧米のアジア・アフリカ進出
②義和団事件
③日英同盟
三国干渉で日本は土地を返したのに、ロシアやフランス・ドイツ・イギリスはどんどん中国に進出して自国の支配下に置きます。
そうすると清の人たちは怒りますよね。
「よってたかって俺たちの土地を奪いやがって!」と。
そして清で事件が起こります。
1900年に「扶清滅洋(清をたすけて外国の勢力を滅ぼそう)」とさけぶ群衆と列強に宣戦布告した清の軍隊が各国の公使館を包囲したのです。
でも清がそんなに強いヤツらを相手にして簡単に勝てるはずもなく、連合軍(日本も含む)にあっけなく負けてしまいます。
これが義和団事件です。
この事件後ロシアが満州を占領すると、日本は
「ヤバイな。放っておくと絶対日本に攻めてくるな。戦うしかないか。」
と考えます。
でもいきなり戦うのは怖いので、1902年にイギリスと同盟を結ぶことにします。
これが日英同盟です。
【結果】
①1904年開戦
②日本海海戦で勝利(東郷平八郎)
③兵力・武器・お金が底をつく
④アメリカの仲介でポーツマス条約
内村鑑三や幸徳秋水など反対派もいる中で、1904年に戦争は始まってしまいます。
(与謝野晶子は「君死にたまふことなかれ」という詩を書いて戦争に行く弟を案じました。)
ロシアは強敵だったんですが、日本は予想外に善戦します。
特に東郷平八郎率いる艦隊がロシアのバルチック艦隊をほぼ全滅させるという快挙を成し遂げます。
他にもロシア軍のいた旅順を占領したり、奉天会戦でも勝利するなど快進撃です。
ところが全力で戦い続けた結果、兵力・武器・弾薬・戦費がなくなってしまい、完全勝利の一歩手前で戦争を終わらせるという決断をしなければなりませんでした。
この時に仲介役になったのがアメリカなので、アメリカのポーツマスで条約が結ばれました。
この条約の内容は次の通りです。
【ポーツマス条約】
・韓国における日本の優越権を認める
・旅順・大連(遼東半島にある)の租借権を日本にゆずる
・南満州鉄道の権利を日本にゆずる
・樺太の南半分(北緯50度以南)を日本にゆずる
ほぼ勝利だったので沢山もらいましたね。
でもちょっと待ってください。
下関条約でもらえた大事なモノをもらってませんね。
何だか分かりますか?
そう、お金です。賠償金がなかったんです。
これには日本国民激怒です。
「こんなに犠牲を払ったのに賠償金がないとはどういうことだ!」
このように考えた民衆が「日比谷焼き打ち事件」という事件まで起こしてしまいます。
お金はもらえませんでしたが、日本は世界に力を見せつけ一目置かれるようになりました。
説明は以上です!
それではクイズで復習してみましょう!
日清・日露戦争クイズ14問
解説・クイズは以上です!