こんにちは!個別指導塾の現役塾長です。
このページでは中学社会の歴史より、「第一次世界大戦」について解説しています。
歴史が苦手な人でもわかるよう、できるだけわかりやすくポイントをまとめましたので、参考にしてください。
解説の後には復習クイズもあります!
(先にクイズにチャレンジしたい人は、目次からクイズを選んでください!)
第一次大戦の解説
【背景と開戦のきっかけ】
①三国同盟(1882年)
ドイツ・オーストリア・イタリア
②三国協商(1907年)
イギリス・フランス・ロシア
③バルカン半島
ヨーロッパの火薬庫と呼ばれた
④サラエボ事件(1914年)
これをきっかけに開戦
1900年前後のヨーロッパの国々はみんなジャイアンのようでした。
「お前のものは俺のもの!」
と言わんばかりに植民地を広げようとします。
みんながそうすると当然ケンカが起こりそうですよね。
フランスとドイツはそんな感じで仲が悪かったんです。
それでドイツはフランスへの対策として、1882年にオーストリア・イタリアと三国同盟を結ぶのです。
そんなことされると他の国も黙っていません。
イギリスは1907年にロシア・フランスと三国協商を結び、ドイツに対抗しようとしました。
【三国同盟・三国協商の覚え方】
三国同盟
「三国ドオめイ」
三国ド(ドイツ)オ(オーストリア)めイ(イタリア)
三国協商
「今日はいい風呂」
今日(協商)はいい(イギリス)フ(フランス)ロ(ロシア)
バルカン半島は地図で確認してみましょう。
ギリシャやルーマニアがある大きめの半島がバルカン半島です。
当時バルカン半島は多くの民族が対立し紛争ばかりだったので、ヨーロッパの火薬庫と呼ばれていました。
さらに地図を拡大するとボスニアヘルツェゴビナという国にサラエボという地名が見つかると思います。
ここで1914年にある事件がおこります。
サラエボを訪れていたオーストリアの皇太子夫妻がセルビアの青年によって暗殺されてしまうのです。
この事件によりセルビアとオーストリアが戦争を始めると、ロシアがセルビアの味方をし、三国同盟と三国協商に参加する各国も参戦する大戦争がはじまりました。
これが第一次世界大戦です。
そうすると「三国同盟vs三国協商なのか~」と思うかもしれませんが、イタリアは協商側から「こっちの仲間になったらオーストリアの土地の一部をイタリアのものにできるよう協力するよ」って言われて協商側に立って参戦しました。
結果、同盟国vs連合国の戦いとなりました。
同盟国:ドイツ・オーストリアなど
連合国:イギリス・フランス・ロシア・イタリア・日本・アメリカなど
【日本はどうした?】
①日英同盟→連合国
②中国に二十一か条の要求
③大戦景気
日本は1904年の日露戦争に備えて1902年に日英同盟を結んでいましたので、イギリスのいる連合国側に立って参戦します。
といってもいきなりヨーロッパまで戦いに行ったわけではなく、中国や太平洋にあったドイツ領の土地に兵を送り占領していきます。(地中海に艦隊を送ったりはしましたが。)
ヨーロッパで大ゲンカしてるから、
そのまま中国にあるドイツ領もらったりしてもバレないかな~
日本はこのように考えていました。
そこで日本は1915年に中国に対して「二十一か条の要求」をつきつけます。
【二十一か条の要求】
・山東省のドイツ権益を日本がもらう
・ポーツマス条約で得た旅順・大連の租借権や南満州鉄道の権利を99年延長する
・中国の鉱山の権利を日本がもらう など
強国たちが大ゲンカで口出しできない中、日本は中国にこの要求を受け入れさせました。
また、戦争は日本の経済にも大きな影響を与えました。
戦争真っただ中の国では、軍需品やその他の物資を十分に生産することができません。
そこで戦場になっていない日本で生産した物資が、戦争やっている国でバカ売れするんです。
これにより日本は輸出が輸入を上回り、大もうけできたのです。
この戦争によって良くなった景気のことを「大戦景気」といいます。
大戦景気によって一瞬で大金持ちになった人がいて、そういう人のことを「成金」と呼びました。
【ロシア革命】(1917年)
・レーニン
・社会主義国の誕生
ロシアでは、戦争により物資が不足して民衆の不満が爆発し、レーニンの指導により革命がおこります。
この革命によりソビエト政権が誕生し、少し後の1922年に「ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)」という国が成立しました。
ソビエトは貧富の差をなくすために自由な生産活動を禁止して、ほとんどすべての企業を国有化するという共産主義社会の実現を目指しました。この考えによって世界初の社会主義国家が誕生したわけです。(共産主義と社会主義は厳密には異なるというう考え方もあるんですが、ここではほぼ同じものと考えていいでしょう。日本共産党はこれらを同じ意味で使うとしています。)
【終戦とその後】
①1918年に連合国(三国協商側)勝利
②ベルサイユ条約(1919年)
③国際連盟(1920年発足)
何年も戦い続け、たくさんの人が亡くなり、力を使い果たす国も出てきます。そんな中、開戦当初中立の立場だった強国アメリカが参戦することになり、ドイツが「もう無理」と判断し、1918年に三国協商側の勝利で終わりました。
日清・日露戦争の時もそうでしたが、戦争の後には条約を結びますね。というわけで戦勝国のひとつであるフランスのパリで講和会議が開かれ、ベルサイユ条約が結ばれました。
これは「ドイツが悪い!ドイツの植民地は取り上げ!賠償金もたくさん払え!」という内容でした。
多額の賠償金に苦しみ国内が乱れたドイツは、何年も後になって第二次世界大戦も引き起こしてしまいます。
しかし、ベルサイユ条約が結ばれた時は、みんな
「もうこんな大ゲンカするのやめよ!」
と思っていました。
特にアメリカ大統領のウィルソンは、国際連盟という機関を作ってみんなで仲良くしようと考えました。
その結果、1920年に国際連盟が発足しました。日本やイギリス・フランスなどが常任理事国(中心メンバー)になったんですが、言い出しっぺのアメリカが参加しませんでした。(アメリカでは「ヨーロッパのいざこざに巻き込まれないように、一匹オオカミでいた方がいい!」という考えがあったためです。)
※国際連合と間違えやすいので補足。
国際連合は第二次世界大戦後にできた国際平和のための機関で、今もしっかり機能していますし、アメリカも中心メンバーになっています。日本は敗戦国だったので常任理事国には入っていませんが。
解説は以上です。
ここからは復習クイズです。頑張ってくださいね!
中学社会 歴史 第一次世界大戦クイズ15問
クイズは以上です!